「見つめる」ということ

 日々、教室にやってくる生徒たちはすでにご存じであろうが、教室には観葉植物の類がたくさんある。私が植物を育てることが好きだからである。教室のあちこちに配置している木々であるが、授業の合間にふと気づくことが多々ある。

 

 「おや、こんなところから新芽が出ているではないかっ!」

 「ふむ。水切れの兆候ありやね。」

 「やっぱり新芽はよい。まるで、花と間違えるほどの淡い色合いだ!」

 

 四六時中眺めているわけでもないのだが、ふとした拍子に気づくことが多い。

 

 こんな経験は、植物に限ったことではない。日々通ってくる生徒たちにも言えることだ。

 

 「お、計算が速くなったな。しかも精度があがってる!」

 「問題文を丁寧に読むようになったな。」

 「なんか、最近、字をキレイに描くようになったな。」

 

 その一方で、生徒たちの自己評価を聞くと、著しく、不当に低く評価するパターンと、明らかに、根拠もなく高く見積もってしまう生徒に二分される。割合で言えば、正しく自己評価できているなと感じるのは、全体の20%くらいだろうか。

 

 不当に低すぎる場合も、不当に高すぎる場合も、自分自身を客観的に見つめていないという点でともにダメである。

 

 日々の微細な信号をキャッチしようとすると、今とは違う光景が見えるようになるだろう。

 それは、問題(設問)に対する姿勢であったり、英語を書きとるときのシャーペンの筆記速度であったり、演習スピードに如実に表れるものだ。中々、自分で自身の変化に気づくことが難しいかも知れないが、教室で授業をしている講師は気づいている。だから、問題の解説でつかう言葉(用語)が多少難解になったり、深いレベルまでの説明をして、さらなるレベルアップを目指してもらうと目論んでしまうことも多い。

 

 話が横道に逸れたが、生徒たちが正しい自己評価ができるようになるためには、目に見える数値だけで判定しようとしないことである。もちろん、テストの結果や模試の偏差値による客観的評価も大切である。しかし、そればかりが先行してしまうと、せっかく良い結果が生じかけているのに我慢が足りずにあきらめてしまったり、自ら目標を切り下げたり、自分からやる気を削いでしまう結果となってしまうことも多い。不当な過大評価は考えものだが、日々の何気ない変化にも注目するようにして頑張れればベストだと思う。

 

 私はいつも言っている。

 

 「問題文は、ちゃんと読め!! 適当に流し読みしてはいけない!!」

 

 それはモノを正しく、ありのままに見つめることが、世の中を正しく見つめるための訓練でもあるからだ。

モノを正しく見ることができるようになれば、見抜く力が育ち、やがては、ヒトを見る目に育っていくようになるだろう。自分は何が好きで、何をやりたいかを知っていて、一緒に過ごす人たちはどんな人間なのかを素直に直視できるような人になってほしいものであるし、私自身もそう在りたいと思う今日この頃である。 

 

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